【みる】ということ

 ここ数年、【意識と無意識】という言葉がキーワードで、それに伴ったワークショップや、それが作品創りの一つの出発点だったりしている。人間の記憶に伴う行動の90%は無意識に働いており、意識しているのは10%である。時にはその数値が99%にもなるらしい。  自分がどういう事をどれだけ何も考えずに行動出来ているか、服を来たり歯を磨いたり、階段を上り下りしたり、中には自動車を運転する等、学習して取得したりしたものから、毎日の習慣でいつの間にか出来ているものもある。見えてなくても出来る事もある。見てなくても出来る事もある。一度に二つも同時に出来る事もある。呼吸だって無意識に行う時もあれば、意識的に呼吸する時もある。教えて貰った事もあれば、自分から学んだ事もある。そう云う自分の習慣や癖はダンスをする時、振付をする時にも現れるもので、そう云う自分の行うでだろう習慣や癖にフォーカスを置いて、それを批判するのではなく、認識する過程を設けたいと思った。捨てるにしろ、捨てないにしろ、それらが何か自己確認が出来なくてはならない。新しいものを受け入れるにも、新しいものを創るにしろ、それに必要なスペースが必要だ。そう云う事をいつも頭の片隅に置きながら踊って来た。

ある本との出会いで【複雑系】という考え方の中にある、鳥や魚の群れがどうお互いに打つからずに移動出来ているかの習性を読んだ。 我々は鳥や魚のように目が横には付いてはいないから、見える範囲が狭いが、その前方180度のペリフェリック以外は、首を動かせば見える範囲が広がるが、見えていない部分は、別の回路を使って見ているのだろう。脳の別の部分や心の目や習慣や記憶というところで… オステオパシーの先生と最近いくつかのイメージトレーニングの練習をした。彼はクラニオセイクラル・セラピストでもあり、細胞単位としか言えない練習である。細胞なんて見えない。イメージするだけである。本来見えていない身体のほんの少しの筋肉や筋を解放させる。全部の筋肉を使うのではなく、一つだけ緊張させたり緩めたりさせると云う、高度な集中力が必要なものであったが、かなりリッチなトレーニングである。

【みる】この事にフォーカスする。見えるもの見えないもの。自分の身体の中に集中させる事、意識を外に向ける事、その二つは繋がるのだろうか。その鍵は【意識と無意識】に戻るのかもしれない。つまり意識している記憶と身体の記憶に繋がるのかもしれない。

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今年の夏はいくつかの場所でワークショップを行います。そう云う今、私が気にかけている事を中心に一緒にリサーチしたいと思います。あと、日本では初めて時間をかけてローザス・ダンス・ローザスを教えたいと思います。私はダンサーに教えるのも好きですが、実は初心者やダンサー以外の方と時間を共にするのが大好きです。ここ数年、定期的にアーキタンツ等で、私のワークショップを開催する機会を頂きましたが、来年からの事は全く分かりません。来年からのスケジュールの関係で、次回はもうしばらくないかもしれません。暑い夏の時期ですが、私と一緒に踊りませんか?

http://www.a-tanz.com/dance/2014_08_fumiyo.html

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