些細な事

些細な事はアンテナを立てているから気付くという人もいるが、不意打ちの様に出会ってしまう些細な事の方が多いと思う。人間の記憶の無意識と意識の比率が95%と5%なら、アンテナのおかげで気付くのは5%で、不意打ちを食らう様に出会ってしまうのは95%だろうか。

些細な事、それらは本当に僅かな刹那な風景である。失敗であったり、失言であったり、忘却であったり、想い出であったり、香りであったり、音であったり、感触であったり、味であったり、déjà vu であったり…

記憶と結びついている時と、記憶に結びつかない時がある。それとも記憶に無いという記憶なのだろうか。遠い昔を思い出させる何かとか、つい先日の答えを出してくれている様な何かとか、どんなに眺めても、もう一つ記憶のパズルが足りない何かとか、或はどんなに自分の人生を早回しで思い出しても、未経験の前代未聞の信じられない様な事、人、話、味、音、感触、におい…その他の色んな事…

道を歩いていて、ふと立ち止まる。ふと振り向く。それは素敵な人かもしれないし、美味しそうな匂いかもしれないし、お店に飾られた素敵な服かもしれない。或は浮浪者であり、ゴミの山であり、誰かの落書きかもしれない。犬の糞かもしれないし、蟻の大行進かもしれない。或は、どこかで見た事があるけど思い出せない人かもしれないし、喧嘩中のカップルかもしれない。名前も忘れていたヒットソングが、不意に聞こえて来た瞬間に思い出す、当時の事かもしれない。実家の匂いに似た何かかもしれない。

バッハの曲には曲名も知らないのに、懐かしい何かを思い出すような、そういう良さがあるよね…と母と今日話した。バッハの時代は録音する事など出来ないので、聴いている人が覚えられる、一緒に歌える旋律を作っていると話してくれたピアニストがいた。

「はっ!」とする何かは、その状態から落ちる速度と温度が違うだけで、ある種の感動には変わりないのだろう。

大きな感情を一つに固めるのと、些細な感情を集めるのでは、些細な事の方が良いなぁ。

一つというのは危険だ。些細な事を集めた方が良い。そして集め切れないのが良い。

amnessのクリエーション中。そういう些細な、でも「はっ!」とする何かが、この作品の中にあると良い。それもお客さん各自が、それぞれ違う場面で「はっ!」っとしてくださるともっと良い。そのためには象が舞台を横切る必要もないし、宇宙人が舞い降りる必要もない。

 

 

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