すでにあるもの

何年も前に読んだ本をもう一度読み返してみる。何度でも読める本もある。何度でも聴き返せる音楽がある。どうしても捨てれない、捨てたくない服があり、大切に着る。使っているうちに、どんどん良くなる皮のコートも靴も鞄も家具も身体の一部だ。 すでにあるもの存在するものを見直す、大切にする、磨き直す、洗濯してあげる、色んな思い出と共に読み直したり、聴き直したり眺め直したりする。

いつも新しくないといけないと決めたのは、誰なんだろう。

既にあるものを使ったり、使い回しの何がいけないのだろう。

同じ作品を何度見ても、何度聴いても、何度読んでも良いではないか。

新しいものが良いとは限らないし、古いものが方が良いとも限らないが、大切にしたいものにはそれだけの価値がある筈だ。

新しい動きを見つけ、新しい音を探し、新しい線を引き、新しい味を覚えたい。新しい動きを探している事が一回りして新しいと思っている事、それ事態が古く感じたりもする。新しい音かどうか新しい味かどうかを比べるには、何か対象があるわけだ。自分の記憶だ。

自分以外の人の動きや音や線や味や色んなものを、自分が知らないという事で自分には新しく写る時、感じる時があるが、その自分以外の人に取っては、それらはちっとも新しくないものであるかもしれない。

そう言う意味では、新しいものはない。存在しない。

想像を超える様なものに囲まれて生きる事を憧れるのは分からないでもない。そう言う事が毎日の連続だと、どうなるのだろうか。

何かを発見したり、何かに驚かされたり、ワクワクする気持ちは、新品新作とは少し違う。

今じゃ映像や写真で地球の反対側までの情報が入る。30年前に初めてNYCに行った時でさえ、映画や写真の情報のせいか、懐かしくも思ったほどだ。自分の記憶している情報に対して懐かしく思ったのだろうか…

私達が発する、感じる、形容詞のすべてはどこから来るのだろう。自分を育てた環境と自分が生きている環境と自分で選んだ情報、それらすべてを感じて、ひとり勝手に、ああでもない、こうでもない、ああだ、こうだと、言っている。

空気でさえ循環し続ける。

 

 

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