ビックバンの時に死んだ神様

18歳の娘もこの6月で高校卒業だ。今、卒論を書いている。選んだテーマがバルカン戦争だ。20年以上前の旧ユーゴスラビアの戦争の事を書いている。どうしてこんな難しいテーマを選んだのか、私の方がため息が出てしまう。

ベルギーの大学入学にはバカロレアの様な入試はないが、勉強が厳しく、本当に勉強をしたい子供達だけが大学に進む。入試はないが、簡単に卒業が出来ないわけだ。これは義務教育でもそうで、勉強についていけなければ落第させる。小学生でも落第させる。或いはレベルが一つ低い学校に転校になるが進学は認められない。

暗記出来たら良い点数が貰え、それが頭の良い子の、日本の学校教育システムでは、今後の日本が心配である。どうしてその答えになるか、本当にその答えは正しいのか疑う、そういう勉強をしなさ過ぎる。例えば歴史の試験だ、名前と年号だけ覚えてどうなるんだろうか。それだけを問う試験は何なんだ。娘たちの試験は真っ白の紙を数枚貰う。例えばバスティーユ広場の写真がある。その場所ついて説明しろとある。フランス革命を書かせるわけだ。まさか年号だけ書くわけにはいかない。場所の名前を書くだけでは情けない。修学旅行でバスティーユ広場で騒いだ思い出が入り交じりそうだろう。しかしこのテストの場合、歴史と仏語の共同だったので、母国語じゃない仏語でレポート用紙3枚、或いは裏も使って6枚に書き上げなくてはいけなかったらしい。

アメリカの大統領選挙があった、午前中の授業は控えて、アメリカや世界の今後を討論する。国内での統一選挙のあとも同じだ。自分達でマニフェストまで作っていた。それと照らし合わせて討論だ。市長に手紙を書いて提出したりもしている。聞き入れて貰えなくてかなり文句を言っていた。高校生が一生懸命に社会に交わろうとしている。意見を持っている。頼もしくなる。日本の、社会との関係性を無視した教育システムは何に繋がるのだろうか。自分の意見を言える、他人の意見を聞き熟思し合う。それが出来る様に導くのが教育であって、1+1=2という事を疑わない教え方は考えものだ。答えは1つだけという教え方だ。絶対などない。ルールと絶対は違う。

娘は小学校はシュタイナー教育だった。宿題も試験もなかった。絵を描くのには、絵の具の原色3色しか与えられたなかった。輪郭を描いてぬり絵をする絵の書き方を知らない。高学年になって初めて貰って来た宿題もどきは、「1は何」「2は何」だった。神を信じない子なので、1は神、何てもちろん言わなかったけど、一生懸命考えてたなぁ… 彼女は「神様はビックバンの時に死んじゃったんだよ」って良く言っていた。

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ビックバンの時に死んだ神様」への1件のフィードバック

  1. ヒロです。FBでこのブログ見つけて以来、ファンです(笑
    すごい、フミヨさん。まさしく私が思っていたことをハッキリと書いてくださっていて嬉しいです。
    ビックバンで神様が死んじゃった、、、。そうかもしれません。
    だから今はもう居ない神様を求めて、信仰し続けている人達が沢山居るのかもしれないな、なんて思います。
    ハナちゃんのように、うちの娘も育って欲しいなあ。
    これからも読ませていただきますね

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